ソウル・ステーション パンデミック

 

本作は「新感染ファイナルエクスプレス」に繋がる物語である。ただのゾンビ映画ではなく「パラサイト―半地下の家族―」同様に、現在の韓国の問題点を浮き彫りにしており、社会風刺を含む作品である。

 

本作で描かれるのは「家がない者たちの復讐」である。
ここでいう家がない者とは、①金がなく物理的に帰る家がないという意味と、②精神的な支えとなる帰る場所がない、という二つの意味をもつ。

 

①金がなく物理的に帰る家がない者たち


これに代表されるのがホームレスたちである。

 

「福祉は国民全員に保証されるべきだよなあ」

 

そんな会話から本作は始まる。そして、この発言をした男性は怪我をしているおじいちゃんに声をかけようとするが、おじいちゃんがホームレスだと気が付くと、すぐさま仲間のところに戻り

「ホームレスだった。せっかく助けてやろうとおもったのに」

と呟く。

 

冒頭のこのシーンで監督は
『福祉は国民全員に保証されるべきと言っていたのにホームレスは助けないという男性は矛盾している。だけど現実の世界でも我々はそんな矛盾をすでになんとも感じていないじゃないか』
というメッセージを視聴者に投げかけている。

そしてこのあと、おじいちゃんを見捨てた男性=中流以上の人々は、ゾンビとなったホームレスに襲われ自分もゾンビになる。

 

②精神的な支えとなる帰る場所がない者
これに代表されるのは女主人公であるヘスンだ。このヘスンは金がなく、彼氏から売春を斡旋され、そして住む場所も今にも追い出されそうになっている可哀想な女性である。そんなヘスンもホームレスを発端とした感染に巻き込まれていく。


彼女自身交番のシーンで「私はホームレスではないです」といっていた。確かにホームレスではない。
だが、ホームレスとトンネル内に逃亡するシーンで「家に帰りたい」とホームレスとともに泣く。そして、最後彼女の父親は彼女を見捨てて逃げたことを風俗店のオーナーから告げられ、自分はホームレスではなかったが、家族という帰れる場所を自分は既に失っていたことに気づく。

 

つまり、トンネル内で二人同時に泣くシーンで象徴されるように、ホームレスとヘスンは物理的な家があるかどうかでいえば二者は異なるが、帰る場所がないという点で言えば同じなのだ。

ヘスンは最後ゾンビとなり、彼氏を殺し自分を痛めつけてきた風俗店オーナーに襲いかかる。彼女の復讐はゾンビの力を借りて完遂されたのだ。

 

本作のテーマと監督が最も訴えたいこと


本作では、冒頭の若者二人の会話から読み取るに、「国民全員に福祉が供給されなければどうなるのか」ということをテーマ(命題/監督がもっとも訴えたいこと)としている。そして上記に解説した①と②から、「貧困層に救済が行われなければ、彼らを無視し続けた者への復讐が始まる」というのが監督自身が出した答え(命題へのアンサー)である。

 

「家がない者」の意味が二重にあったのと同様にここでいう救済も二重の意味をもつ。
一つは金銭的な援助で、全国民が衛生環境が良い暮らしができるようにするということ。もう一つ誰もが家族や彼氏などの精神的支えを失わないように生きるための措置という意味である。

失業率が高い韓国で前者が保証されていないのは言わずもがなである。それに加えて後者に象徴されるように韓国では他者とのつながりが希薄になっていることを本作は描写している。これら国家単位で言えば全くもって些細なことが、国家崩壊に結びつくのでないか、という筆者のメッセージを我々はゾンビ映画として視聴させられる。ゾンビ映画で社会風刺をするというのが本作の最大の魅力である。