マレフィセント 感想

マレフィセント感想

 

 眠れる森の美女を題材としている(ちなみに白雪姫と眠れる森の美女を真実の愛によって、少女が目覚める点は共通しているが、全くの別作品である)。

 

 本作のポイントは2つある。1つは眠れる森の美女が本来語られなかったマレフィセント側から語られること。2つ目は少女オーロラがマレヒィセントからの真実の愛のキスで目覚めることである。
 
①マレヒィセント側から語られる眠れる森の美女
 眠れる森の美女は、少女オーロラの視点で描かれてきた。それを本作ではマレヒィセントの視点で描く。これはアメコミ作品で敵として登場するジョーカーを主人公とした「JOKER」と同じ手法を採用しており、同作および本作でも「敵がなぜ敵となったのか」を描く。「JOKER」の場合、家族・会社・そして社会から断絶された可哀想なアーサーが半ば必然的にダークサイドに堕ちる姿を描く。本作もマレヒィセントがダークサイドに堕ちる理由が描かれ、そしてその理由は実は人間が翼を盗んだことがきっかけであることが明かされる。
また皆が幸せに暮らすマレヒィセント含む妖精と、侵略を企て翼をも奪う国王や兵士などの人間とを対比させることで、いかに人間がクズかを鮮明に表す。
 これは「かぐや姫の物語」などでも使われる「人外と人間を対比することで人間の愚かさを明らかにする」という演出である。
よって、本作はかつてディズニーが制作した「眠れる森の美女」を全くの別視点から描いた作品であり、そのテーマ自体も従来のものとは異なってくる。

 

②真実の愛とはなにか、というディズニーが探求し続けるテーマ
 ディズニーの愛に関する捉え方、考え方は時代によって様々だ。1989年に公開された「リトルマーメイド」や1992年に公開された「アラジン」は、人間と人魚という種族を超えることや、庶民と王女という身分を超えて、互を愛することの美しさを描いた。

  ただし、そこにある大前提は「愛は男女」のもと育まれるという古くからある考え方だ。近年この「愛は男女のもと育まれる」ということに対するアンチテーゼ的な作品を多くディズニーは制作している。2013年公開の「アナと雪の女王」もその一つだ。王子と王女が結ばれるという古くからあるお約束を破るとともに、男女の恋愛ではなく同作は姉妹愛を描いた。2014年に公開された本作もこの流れをくんでおり、同作で描かれるのは母親と娘の愛(親子愛)である。
 かつてディズニーは「眠れる森の美女」を始め多くの作品で、男女愛を描いてきた。そんなディズニーがお約束を破り、かつて「眠れる森の美女」で描いた「王子によって呪いが解けた」というラストを、「母親(マレヒィセント)の愛によって呪いが解けた」という風に改変する本作に、ディズニーの覚悟が垣間見える。


 愛の形の多様化が叫ばれる現在社会。それに伴って「何も、男女だけが愛を育めるわけではないだろう」という風に認識を改めたディズニー。これまで散々男女の愛を描いたディズニーだからこそその一作品である「眠れる森の美女」を用いて、本作で愛の多様性・そしてディズニーの進化を表現したかったのであろう。